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『善悪の彼岸2』


毒舌 身の上相談 (集英社文庫)

毒舌 身の上相談 (集英社文庫)

  • 作者: 今 東光
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1994/05/20
  • メディア: 文庫




米軍基地周辺で続く性的事件は、現在進行形の問題である。
いつまで経っても解決されない。
誤解を恐れずに言うが、これはある意味慰安婦より罪深いことである。
数ではなく質の問題として深い傷跡を残すからである。
被害者である女性にとっても、基地との共存を強いられている周辺住民にとっても、だ。
周辺住民は、『いつまた起こるかもしれない』ルサンチマンと共に暮らさねばならない。
さらには性的事件だけでなく、墜落事故や日常的な危険性も彼らにはある。
過去の事件の怒りや、悲しみや、やりきれない気持ちに対して、時間がその解決に力を貸す事はない。
そういう状況で日常を過ごさねばならない方々の苦しみは、察するに余りある。


現在極東地域で戦争は起きていない。
平時である。
通常の状態であれば、兵士たちに死の危険は殆ど無い。
しかし兵士という性質上、肉体を酷使し、時に緊張を強いられることに違いはない。
多少の娯楽と共に、性のはけ口は必要となるだろう。
職務に伴って生ずる性的欲求の処理は軍がきちんと管理すべきものだと、私は思う。
さもなければ無責任の誹りは免れまい。
現実に性的暴行事件は起きているのだから。
徹底した管理を望みたいところである。

米軍の現在の兵士たちの性的欲求の解決方法は、『自由恋愛』だそうである。
なるほど、耳触りのいい言葉だ。
しかし、その実態はどうだろう。
『自由恋愛』の結果、多くの私生児を生みだし、『不幸』の拡大再生産を行っている。
そもそも、勝てる者と負けた者、
持てる者と持たざる者の区別が明確にある中での『自由恋愛』とは何だ。
自由恋愛とは本来対等な関係の中で初めて成立し得るものではないのか。
かつてノルマンディー戦後に米軍がフランス人女性たちに行った行為も『自由恋愛』なのか?
私には、この『自由恋愛』という言葉、
兵士たちの性的欲求の管理放棄を美々しく糊塗した言葉の様にしか聞こえない。

現在でもなお、特に沖縄では、明確に持てる者と持たざる者の区別が存在し、
その中を『自由恋愛』という言葉が闊歩している。
勘ぐった考え方をするなら、日本政府が積極的に沖縄の開発と振興を行ってこなかったのは、
この『持てる者と持たざる者』の区別を維持したかったからではないのか、という疑念がわく。
その場合、沖縄は米軍への生贄、である。


日本政府の態度もさることながら、米軍の態度も重要だ。
現在、周辺住民との信頼関係はゼロである。
米軍もこの種の事件に対して無策ではないと思うが、もはや『遺憾の意』や『謝罪』で済む段階に無い。
もっとドラスティックな対策が求められる。
周辺住民たちが『おっ、これは…』と思うような、米軍の変化を感じ取れるような対策が必要だ。
その一つの案として、『風俗を利用する』と言った橋本氏の提案は検討に値するだろう。
私などは、下種な人間だから、特区でも作って米兵に娯楽を提供し、
その中でのみ性的サービスの供与が認められるという形にし、
その代わりに特区外での娯楽行為をいっさい禁ずるという案を考えてしまう。
そうすれば周辺住民の懸念はいくらかでも減ずるのではないかと思う。


現在アメリカは、韓国と共に我が国のかつての慰安婦制度を非難している。
先述の様に、フランス人女性をレイプしまくっていたり、
朝鮮戦争やベトナム戦争でも慰安婦制度を持っていた国達から批判される覚えはないけどね。
さらに言うなら、現在進行形で起きている兵士による性的事件に、
きちんとした解決策を提示できていない国に批判する権利はないと思う。
先に述べたように、これらの事件は慰安婦以上に罪深いものなのだから。

願わくば、米国には偽善の仮面を脱いで本音で対処してもらいたい。
人間が人間であり、『軍』というものが存在する以上、これらの問題は付きまとうのだから。
そうすれば日本に対する誤解も解けるだろう。




今週の一曲
McCOY TYNER 『We Will Meet Again』


Tribute

Tribute

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Palo Alto Jazz
  • メディア: LP Record



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