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『夢の終わりに』


食卓は笑う (新潮文庫)

食卓は笑う (新潮文庫)

  • 作者: 開高 健
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1986/08
  • メディア: 文庫



中国を題材にしたジョークはいくつかあるが、その中にちょっと考えさせられるジョークがあった。
それはこんなジョークだ。

中国の街角で、一人の若者が叫んでいた。
『中国には共産党しかない。なぜなんだ。他にも政党が必要だ』と。
するとそばで聞いていた老人が深いため息をついてこういった。
『あなた。まだ必要なのですか?』

普通、ジョークを解説するような下世話な真似はしてはイケナイのだが、
後の話に繋がるので会えて解説する。
老人の嘆きには、『共産党一党だけでも十分に辛い生活を強いられているのに、
他にも政党ができたら、もっと酷い目にあうではないか』という懸念が含まれている。
中国が部隊ってことになっているが、暗に民主主義を皮肉ったものだろう。


さて、僕は考えた。
『果たしてこの国に選択肢はあるのか?』と。
たとえば今年の夏の選挙。
確かに政党はたくさんあった。
しかし『いざ投票』ってことになると、どこにも入れるところが無い。
なぜこんなことになってしまったのだろう。
きっと、夢の時間は終わったのだ。

この国は長い間二大政党制を目指してきた。
二大政党になると政治がよくなる(?)と信じてきた。
その結果としての民主党政権であったわけだが、これが思ったより酷かった。
『Trust Me』のおじさんも実は『Trash,me』だったし、
次のおじさんも『いや~ん、バカン』だったし、
ドジョウのおじさんに至っては至上稀に見る大戯けにして、国民を欺いた大悪党だった。
(ドジョウとかいって自分を卑下すれば国民が同情してくれるとでも思っていたのか?
 な~んちゃって。)

民主党は『政治主導』と言っていたが、
ただ単に政治家が命令すれば官僚がその通りに動くと本気で思っていたのか?
だとしたら、中二病より重症だ。
『公約』と言う言葉を殺したのは自民党だが、
『マニュフェスト』と言う言葉を殺したのは民主党だ。
自ら作ったマニュフェストを自身で否定することは、
政治家としての能力と資格を自ら否定するものだ。
だから、まともな精神の持ち主ならそこで自らを恥じて隠遁するか、
再起を誓って自己研鑽への道をたどるだろう。
世が世なら、切腹した人もいるかもしれない。
なのに未だ民主党およびその所属議員達は政界に居座り続けている。
とりあえず民主党に所属する政治家たちが『恥を知らない』人たちなのは分かった。
『二大政党制』という幻想にあこがれていればよかった時代はもう、終わったのだ。
彼らに期待することはもう何も無い。
しかし彼らがどれだけの面の皮の厚さを持っているのか、ちょっとだけ興味がある。

閑話休題。
本来、二つの政党が切磋琢磨して政治の質を高めていくのが二大政党制の利点なのだが、
数ばかり、形ばかりの二大政党を目指してきたが為に、政治家の質には目を瞑ってきた。
あるいは故意に質を問おうとはしなかった。
その結果、形としては二大政党の体裁は整ったが、片方の民主党が合格基準を満たさないから、
二大政党制自体が機能不全に陥っている。
それが現在の惨状の原因ではないか。
やはりここは政治家の質を追及しなければならないだろう。

若い方々は知らないだろうけど、昔、『この程度の国民にはこの程度の政治』と言ったバカがいた。
そのバカは国会議員だった。
僕はその通りだと思った。
ただしバカの意図した通りではなく、『この程度の国民だから、この程度の政治家しか選べない。
だからこの程度の政治しかできないのだ』と言う意味合いにおいてだ。
あれから政治家達は政治の質が上がるべく努力したか?
政治家の質を上げるべく何か手を打ったか?
国民の意識が向上すべく、何かをしてきたのか?
少なくとも僕の目にはその様な試みは映らなかったけど、何もしていないのなら、
『国民の蒙昧さに付け込んで利益を貪る卑劣漢』であると、
すべての政治家達は非難されるべきである。

では、政治家の質を上げるために何をすればいいのか。
政治家達は『国民に痛み』を与える決定は軽々とするが、
自ら血を出す改革には決して取り組もうとはしない。
だからこちらから提案する。
① 議員定数の削減。まぁ、半分くらいかな。
② 議員報酬の削減。800万~1000万円の間。
③ 議員待遇の見直し。色々。(議員会館は女連れ込むところじゃねーぞ)
これらをやれば、本当に政治を志す人しか議員になろうとしなくなるだろう。
さらに、
④ 政治資金をいったん国庫に入れる。
⑤ 政治資金の管理を国税庁が行う。
ここまでやれば汚職ができる可能性がぐんと減る。
政治家が、自らの利益の為に政治の道を選ぶことを徹底的に排除すべきなんだ。
今は自由主義経済の社会だから、社会を動かす原動力として『欲望』が介在することは致し方ない。
しかし、だからこそ国を動かす原動力として『欲望』は一切介在してはならないのだ。
これは即ち、価値観の転換または多様性を意味する。
つまり、お金だけに価値を見出すのか、そのほかのものに価値を見出すのか、と言うことだ。
本当は官僚始め、すべての公務員がそうあるべきなんだけど。
とりあえず政治家から始めて、彼らに『欲望以外の価値観』を構築してもらおうではないか。
まぁ、後は互いに切磋琢磨してもらって、互いの質を高めあっていただきたい。
本当は、二大政党制自体あまり良いとは思わないんだけど・・・ね。


二大政党制という夢は終わった。
政治家達はまた新たな夢をでっち上げ、国民を惑わすのか。
一国民としては、『夢のような生活』でなくとも、小さな幸せを守っていける社会を渇望するのだけれど。





今週の一曲
Art Garfunkel 『So Much In Love』


レフティー(紙ジャケット仕様)

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  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: SMJ
  • 発売日: 2012/10/10
  • メディア: CD



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