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『夏の終わりに』






八月ももうすぐ終わる。
今年の夏も終わりに近づいている。
夏の初めの漠然とした高揚感と、それが無に帰した諦観。
鎮魂の祈りを境にして緩やかに変わっていく風の色。
夏の終わりの寂寥感。
季節はいつもどおりに変わっていく。

だけどこの夏、気持ちはいつも通りではいられなかった。
『戦争に一歩近づいた』この国を、それを看過した僕達を、
先人たちにどう報告したらいいのか分からなかったからだ。
どう祈ればいいのか分からなかったからだ。
『安らかにお休みください。過ちは二度と繰り返しませんから。』
これまでその言葉を信じて祈ってきた。
だけど今年、『過ち』に一歩近づいてしまった僕達は、
どんな言葉で鎮魂の祈りを捧げればいいのだろう?
そんな僕達を、天は、先人達はどの様に見ているだろうか?
『異常』ともいえるこの夏の気象とそれに伴う各地の災害も、
天の怒り、先人たちの怒りであるかのように、僕には思えてしまう。


話は変わる。
二十年来の習慣なのだが、八月には一本、戦争映画を見ることにしている。
戦争映画ってあまり好きなジャンルじゃないから普段はあまり見ないんだけどね。
戦争を知らない世代として、自分なりに戦争を考え、平和を考える為に続けている。
その材料としての戦争映画だ。

僕の中には根本的に、
『戦争の悲惨さは戦争を体験していないと感じることは出来ないのだろうか?』という疑問がある。
もしそうなら、我々人類は戦争という『愚行』から永遠に離れることは出来ないだろう。
戦争が愚行であることを十分に承知し、また理解しながらも。
例えば太平洋戦争の経験者が自らの体験を語る。
太平洋戦争自体70年前のことだから、その体験者となるとご高齢の方ばかりだ。
体力的にも精神的にもお辛いことと思うが、それを語り続けるのはひとえに
『戦争体験を語ることでその悲惨さを伝え、二度と戦争をすることの無いように』
との願いからなのだろう。
その話は貴重なものであり、その語る姿は尊い。
だがしかし、少々穿った見方をするならば、
その悲惨さは『負けたから』であり、『敵に攻め込まれた』からの悲惨さなんだ。
それを例えばアメリカ人に話したって、同情はしてくれても共感はしてくれない。
彼らは勝った側だし、自国が敵に攻め込まれたこともないから。
それに結局は他人事だし。

 (9.11の事件は衝撃的なニュースだったし、約3000人の犠牲は痛ましいことでもある。
  しかし、アメリカが東京大空襲や広島・長崎、あるいは昨今のイラクやアフガニスタンや
  その他の地域で殺害してきた数は、桁が二つか三つ違う。
  それを思えば、9.11後の彼の国の大騒ぎは滑稽ですらあった。冷めた見方だが。
  そのことは世界の警察を自認し、世界中に影響力を及ぼしたがっているアメリカという国が、
  同国人の死には過敏であるが、他国人の死や不幸には如何に無頓着であるかを示している。
  因みにイラク戦争とその後の混乱の中で、アメリカ軍による誤射・誤爆によって犠牲になった
  民間人の数は、『数えていない』そうである。
  どうやらアメリカで販売されている辞書には『人道的』という言葉は載っていないらしい。)

勝った・負けたという立場を乗り越えて、一人の人間として、世界市民の一人として対等に語れる
『戦争の悲惨さ』を見つけること。
それが僕たち戦争を知らない世代に科された使命なのだろう。

そういった観点で、今まで見た戦争映画の中でいちばん印象に残る一本をあげてみたい。
松本零士氏原作のアニメ、『ザ・コクピット』だ。



TOKUMA Anime Collection『ザ・コックピット』 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • メディア: DVD



『ザ・コクピット』は松本氏の『戦場漫画シリーズ』を原作としたアニメで、
三つのエピソードから成り立っている。
その中の二番目、『音速雷撃隊』という、
特攻兵器『桜花』のパイロットと彼を取り巻く人々の話の中に忘れられない台詞がある。
 (『桜花』という特攻兵器は今で言うミサイルの原型みたいなもので、
  ジェット推進により高速で目標に向かっていく。
  今みたいに電子制御の技術がなかったので、それに乗った人間がコントロールする。
  一度発射されたら誰にも止められない。
  ただし航続距離が短いので、
  目標の近くまで『一式陸攻』という大型の飛行機で運ぶ必要がある。
  因みに一式陸攻は七名の乗員で運用される。
  『桜花』という重荷を抱えた一式陸攻は敵戦闘機の格好の獲物である。
  それでは特攻はままならない。
  そこで一式陸攻隊を護衛する戦闘機の大部隊が必要になるのだが、
  深刻な物資不足と熟練パイロットの不足により十分な護衛の戦闘機隊をそろえられない。
  『桜花』のパイロットだけでなく、一式陸攻の乗員も、戦闘機隊のパイロットたちも、
  まさに決死の覚悟で作戦は遂行されていた。)
台詞の一つは、一式陸攻の年配のリーダーの
『こいつらにあと三十年会ったらなあ。いろんなことをするんだろうなあ。』という台詞。
主人公が実はジェット推進の技術者で、本当は特攻兵器に使うのではなく、
月にロケットを飛ばしたかったという夢を語ったことを受けての言葉だ。
もうひとつは特攻を受けた直後の米空母の艦長が、
特攻パイロットの持ち物らしき日本人女性の写真を見つけ、
その直後に『ヒロシマ市に新型爆弾投下。ヒロシマ市は壊滅。』という伝令を聞いて、
『どっちもクレイジーだ!』とはき捨てるように言った言葉。
これらの言葉の中に僕たちの探している答えがあるような気がする。
古い作品だから、普通のレンタル店には多分置いていないと思うが、
機会があったら手にとってみてほしい。


太平洋戦争は当時の政治家と外交官たちの怠慢によって始まった戦争だ。
 (と、僕は思っている。このことはまた別の機会に。)
本当の為政者は国民を幸福に導くものだ。
しかし国を、国民を危険に、ましてや戦争に導こうとする政治家達は『偽政者』と呼ばれるべきだ。
今年、愚かな偽政者共が決めてしまった閣議決定が、
後世、この国が新たな戦乱に巻き込まれてしまった原因だと指弾されることのないように、
今は祈るだけである。


今週の一曲
Vivaldi 『四季~夏~』


ヴィヴァルディ/協奏曲集「四季」

ヴィヴァルディ/協奏曲集「四季」

  • アーティスト: エンシェント室内管弦楽団,ビバルディ,ホグウッド(クリストファー),ハロインズ(クリストファー),ホロウェイ(ジョン),ベリー(アリソン),マッキントッシュ(キャサリン)
  • 出版社/メーカー: ポリドール
  • 発売日: 2000/03/25
  • メディア: CD




今週の一本の映画
久しぶりに、ずいぶん久しぶりに『となりのトトロ』を見た。
やっぱりいいね~。
僕の育った時代や環境とは違うんだけど、何かこう、懐かしさを感じる。
郷愁を感じる。
心が洗われた気分になる。
きっと、我々日本人の原風景なんだろうね。
僕は思う。
こういう映画こそ大人が見るべきだと。

人は誰でも幼年~少年時代を過ごす。
素直であり、無邪気であり、純粋だった少年時代をすごす。
少年はいつしか大人になっていき、素直さを忘れ、無邪気さを忘れ、純粋さを忘れる。
そしてずるさを覚え、功利を求め、汚れていく。
しかし、人が人として幸福になる為には『純粋』であることが必要なのではないか?
ならば、大人になってもどれだけ純粋さを残しているか、それが大事なことなのではないか?
『となりのトトロ』が心地いいのは、純粋さに溢れているからだと思う。
そしてその背景として、五月やメイだけでなく、彼女たちを取り巻く人々、
とりわけ大人たちが純粋さを失ってないことがあるのではないかと思う。
心の奥深くに眠っている純粋さを呼び起こす、その為に大人達はこういう映画を見るべきなんだ。

いや~、さすがの僕も『となりのトトロ』を見た後では心が洗われちゃって、
下品なジョークなんて出てこないや。
ところで、五月とメイのお母さんが入院してる病院の名前って、
『ビッチコック山病院』だった、よね?
すごい名前の病院だね~。
お父さんってば、よくそんな名前の病院に入院させたよね。
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