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『日はまた昇る?』


梅原猛の授業  道徳

梅原猛の授業 道徳

  • 作者: 梅原 猛
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2003/01
  • メディア: ハードカバー



(『日』といえば日本のことを象徴的に表す場合が多い言葉ですが、
 この『日』は例のアホひ新聞のことです。)

従軍慰安婦問題に関して、ようやく朝日新聞が誤報であることを認めた。
今回はそれについて。
といっても、もう二ヶ月近く前の話で、世間的には『いまさら?』な話題だと思うが、
静観していたのは世間の反応を見たかったこと、
タイムリーな出来事に対してありがちな、感情的過ぎる表現になることを避けたかったから。
(まぁ、うつ病でやる気が出なかったこともあるんだけど・・・。)


世間には『誤報を認めた』とか、『検証自体はしっかりしている』とか、
そういう些事をもって一定の評価を与えようとする意見が散見される。
世間様はお優しいですね~。
でも、生憎僕は易しくは無いんだ。
朝日の検証記事、そこに僕の求める答えはなかった。

誤報を認めることは当然のことだし、むしろ遅すぎる。
遅すぎる訂正は評価に値しない。
それどころか訂正が遅れたことによって弊害の拡大を招いており、
そちらの罪の大きさに目を向けるべきだ。
そもそも一連の記事の根幹を成す『吉田証言』自体、当時から『眉唾物』と見る意見は多かった。
僕の知りたかった事のひとつは、
 * そういう状況の中で、朝日新聞がなぜ、吉田証言を信じたのか?
 * 何を持って『信じられる』と判断したのか?
 * ジャーナリズムであるならば当然する筈の『裏をとる』作業はしなかったのか?
   (世間と違う評価で記事を書くのなら、尚更慎重に裏を取るべきだと思うが。)
 * 上司(?)によるチェック機能はなぜ働かなかったのか?
これらの説明が、きちんと納得の行く形で欲しかった。
なぜならこれは朝日新聞の、ジャーナリズムとしての資質に関わる問題だからだ。
問題の記事は複数年に渡っており、それを書いた記者もまた複数人いる。
だから、これらの記事が突発的に、ミスが重なって世に出たものだとは考えにくい。
朝日新聞としては、これら一連の報道が特殊なケースであり、
『通常の記事とは違う尺度で掲載に至ってしまった』事を示さなければ、
読者側はいつもこのように
『記者の主観と心象を根拠にして確信的な記事を書いてるのだ』と判断せざるを得なくなる。
それはむしろフィクションであり、本来のジャーナリズムの仕事とは一線を画すものだ。
そうなるとこれは体質的問題であり、他の記事の信憑性にも関わってくる。

―と思ってたら、案の定、やっぱり、出てきましたね~。
『吉田調書』の誤報問題! (同じ吉田でもあっちとはだいぶ違うね。)
任天堂(だったっけ?)社長への架空インタビュー!
朝日新聞は何かの信念があってこれらの記事を書いているのだろうか?
それともただの手抜き?(面倒くさいから取材ナシで記事を書いてる?)
もしや、『朝日スタンダード』は世間の感覚からかけ離れているのかな?
(生活保護費の減額問題では、ある大阪の女性が月額29万円の保護費を減額されたら
暮らしていけないと嘆いているという記事を書いて、『常識はずれ』とだいぶ叩かれてたよね。)
民主主義におけるジャーナリズムの重要性は、
一般大衆と近い感性を持っていて始めて満たしうるということを、朝日新聞は知っているのかな?

あげくに『当時は嘘と見抜けませんでした』だって?
小学生の言い訳か!
いずれにせよ、現状では『朝日新聞はジャーナリズムではない』というしかないね。


検証自体はしっかりしているという意見もある。
ホントか?
僕はそうは思わないけど。
百歩譲ってしっかりした検証だったとしてみよう。
だけど実際に、杜撰な取材チェックで書かれた記事が掲載されているのだ。
それも複数。
(それが元でわが国は『いわれなき汚名』を着せられているのだ。)
だから検証が必要になったのだから、検証記事がよく出来てたって何の意味も無い。
優れた検証能力がありながら杜撰な記事を掲載したって事は、
日頃の仕事では手を抜いているのか?
やっぱり?
検証記事が精緻であればあるほど、
『それだけの検証が出来るのなら、杜撰な記事書いて世間様に迷惑かけてんじゃねーよ! 最初からちゃんとした記事を書け!』なのである。


もうひとつ僕が知りたかったことは、『なぜこの時期に』ということだ。
誤報の訂正をするなら、その機会はいくらでもあった。
慰安婦問題の発端とされる吉田の著書『私の戦争犯罪』の出版が、83年。
秦郁彦氏が現地調査の結果、『虚偽である』との調査報告をしたのが92年4月。
(その中には、吉田が慰安婦狩りをしたとしている済州島の地元の済州新聞が
追跡調査をした結果『虚偽である』とした、89年の記事もある。)
吉田本人が虚偽であることを認めたのが95年。
咥えて、・・・あ、違う。
加えて、96年にも吉田は重ねて虚偽であることを告白している。
本来なら、記事にする前に済州新聞が行ったような現地調査を行うべきだった。
朝日新聞が本当のジャーナリズムだったら、ね。
それでも『秦報告』の後、吉田の告白の後と、少なくとも三回は訂正の機会はあった。
なのに朝日新聞は97年3月に『(吉田証言の)真偽は確認できない』と書いたのみであった。
本人が『嘘でした』といっているにも拘らず、訂正も謝罪もしてこなかった。
それがなぜ、17年も経ってからの訂正なのだ。
分からん・・・。

ちょっと脱線するけど、なぜみんな吉田清治と呼ぶのだろう。
今ヤツに氏なんて要らない。
呼び捨てで十分。
何が目的で虚言を広めたのか知らないが、国を貶めた罪は重い。
ヤツを裁く法は無いけれど(また、そんな危険な法はあるべきではない)、犯罪者と同じだ。
国を貶め、先人たちの顔に泥を塗ったのだから。
故人だからどこかの墓に埋まっているのだろうけど、ヤツの為の安息の地を、
わずかでも我が国の内に許すべきではない。
死んだくらいでは許されない罪もあるのだ。
速やかに掘り出して、韓国の海にでも捨てるべし。
韓国が好きなんだろうから。


今回の検証記事を総じて言うなら、『朝日新聞の言い訳』だと思う。
『間違えちゃった。てへ[黒ハート]でも、私はぜんぜん悪くないんだよ。ね、おにいちゃん[黒ハート]
といっているのに等しい。
『おにいちゃん[黒ハート]』という言葉に負けたのかもしれないけど、
この検証記事に甘い評価を与えることは、現在の朝日新聞の態度に承認を与えるに等しく、
僕にはとても承服できない。


最も気に食わないのが、『謝罪が無い』ということだ。
自らの責任を棚に上げ、『善意の第三者』を装って親切心からこれらの検証を行っているように感じられ、
気持ち悪い。
これは『間違えちゃった。てへ[黒ハート]』で済まされる問題ではないんだ。
この一連の報道が、例えば一週間誌であったなら、問題はここまで大きく、
また深刻になることは無かっただろう。
朝日新聞だからこそ、大きな問題になった。
『大新聞社』であるという誇りは、重い責任を背負い込む覚悟と引き換えで無ければならない。

検証記事中に『歴史的事実は変えられない』とほざいていたが、この言葉も気に入らない。
謝罪するつもりが無いどころか、何か誇らしげに聞こえる。
自ら犯した罪から眼を背けようとしている。
そんなことを言うのなら、『朝日新聞はジャーナリズムではないという事実は変えられない』のであって、
そんな新聞の言うことに何の信憑性があるというのだ。
朝日新聞は題字の下に注意書きを入れるべきだ。
『この新聞の内容はすべてフィクションであり、 実際の事実・真実とは一切関わりはありません』とね。

報道ステーションの検証でも同じようなことを感じた。
あれが限界、あれが落し所だったのだろう。
オトナの世界には色々あるんでちゅね。


謝罪が無いということは、そこに『真摯な反省が無い』ということだ。
反省が無ければ改善も無い。
改善が無ければ同じことを繰り返す。
極めて分かりやすい理屈だ。
今まで書いてきた他の記事も、これから書く記事も、
いつまた『間違えちゃった』になるか分からない、ということだ。
実際、あれからYAHOO!ニュース等で記事を読み『ふむふむ』と納得しても、
その記事元が朝日新聞だと判った瞬間に、
反射的に『え?これもフィクションか?』と思ってしまう自分がいる。
謝罪しなかったのは大新聞のおごりと、社長個人の小さな自尊心からだろう。
だけどそれと引き換えに彼らが捨て去ったのは『ジャーナリズム』という看板だ。
謝罪をしないことで朝日新聞はジャーナリズムとの決別を、世界に向けて宣言したのだろう。


ただ、この誤報によって『日韓関係が損なわれた』という意見には与しない。
それは朝日新聞のせいではない。
語弊を恐れずにいうのなら、韓国民は劣等種族だ。
自ら誇れるものが無いから人のものをパクッたり、
他人を非難し、貶めることによってしか自らのアイデンティティーを保てない。
そしてその核心部分にあるのが『反日』というキーワードだ。
恐らく、『反日』という看板をはずしたら、韓国はアイデンティティーが崩壊して、
社会を維持できなくなるのではないか?
(そしてそのことを一番よく知っているのは大統領自身なのではないか?)
だから慰安婦問題が無くても、韓国は何か他のネタを見つけて因縁をつけてきただろう。
歴史を捏造してでも、ね。
(竹島問題や在日もんだいがいい例だよ。)
慰安婦問題があっても無くても、日韓関係が良好になることなど、最初から無いのだ。
日韓関係において朝日新聞の果たした役割は、
『韓国が日本を攻撃する、恰好の材料を提供したこと』なんだ。



ここまで書いてきて、今、僕の中には一つの空想がある。
韓国は工作が大好きな国である。
ただしそれは『物を作る』工作ではなく、『秘密裏に非合法なことを行う』方の工作である。
金大中元大統領のノーベル平和賞受賞も工作の結果だし、ワールドカップのベスト4も工作。
『金大中事件』という工作もあったね。
ま、要するに、金で買った訳ね。
(金大中事件における金銭の授受は確認されてはいない。
しかし国家の主権が侵害される事態に沈黙を決め込んだ政界に金が流れた可能性はあると思う。)
僕の空想は『朝日新聞と吉田清治もカネ貰ってたんじゃねーの?』という空想である。
世論を操作し、韓国に有利な、日本に不利な状況を作り出すという工作である。
金大中事件のシンコクさから見れば、『単なる情報操作』なんだからお手の物だろう。
もちろん、何も証拠は無い。
だから『空想』。
だけどそう考えるといろんなものが理解できる。
吉田が単に金欲しさから個人的に出版し、その為の方便として虚言を弄したのだとしても、
それだけで十分な収入が得られたとは思えない。
そんな甘い世界じゃないだろう?出版業界って。
その疑問も『工作』が背後にあるのなら納得できる。
虚言だった事を告白した時に吉田が口にした『私の役目は終わった』という言葉の意味も、
朝日新聞が謝罪しない理由も、
先述の、『なぜこの時期に・・・』という疑問の答えも。

従軍慰安婦問題は想定以上に広がりすぎた。
日本を攻める材料だった筈が、最近では、
韓国が朝鮮戦争とその後の駐留米軍の為に使っていた慰安婦たちが、
韓国政府を訴える事態にまでなってしまった。
このままでは逆に日本から攻められかねない。
 (これは歴史的事実だが、従軍慰安婦に関して韓国は旧日本軍より数段上を行っている。
  先に上げた朝鮮戦争や駐留米軍のため、さらにはベトナム戦争でも慰安婦に関わっている。
  ベトナム戦争に参加した韓国軍が村を焼き払い、それによって生活の糧をなくした女性達を、
  民間の韓国人が慰安婦に斡旋するという悪どい事をやっている。
  もちろん韓国人だから、レイプもするし、虐殺もする。
  『人道的』見地から見ても、韓国が日本を攻めることは客観的には出来ないのだ。)
そのために世論の沈静化を図る必要が生じた・・・。
それで今になって訂正記事を・・・。
ま、単なる空想です。空想。



さて、これから朝日新聞はどうなるか?
どうして行くつもりか?
余計なおせっかいだが、朝日新聞の身の振り方を勝手に考えてみました。

① 潔く廃刊にする。
  これだけの迷惑をかけ、またジャーナリズムであることを放棄し、更生つもりも無いのだから、
  ある意味当然。
  だけど、そんな潔さがあるのなら謝罪しているわな。
  だから、これは無いだろう。
② 東スポか学研に身売りして子会社になる。
  東スポはともかく、学研には『なぜ?』と思われた諸氏も多いのではないかと思います。
  学研は、雑誌『ムー』の出版元なのです。
  だから学研の子会社になり、『朝日新聞』を『朝日〈ムー〉新聞』と改名すれば、
  少々アレな記事でも書き放題なのです~。
  例えば『パク・クネは実は金星からの使者だった!』なんて記事でも全然OK。
  今の朝日新聞にはこれがベストだと思われます。
③ 改めて謝罪し、真のジャーナリズムとして生まれ変わる。  
  いちばん困難な道。
  謝罪は当然として、これまでの『フィクション体質』から『ジャーナリズム体質』へと、
  会社組織を軌道修正することは一朝一夕では出来ないし、並大抵の覚悟では出来ない。
  さらにそれを社外にも分かるように、理解が得られるな形で示していかねばならない。
  個人的には社長の進退には興味は無い。
  (社長の美人秘書の身体なら興味があります!・・・すみません。またつまらないジョークを・・・。
   だって、『シンタイ』を身体なんて変換するから、つい・・・。)
  自らが社長を勤める会社の不祥事に際し、
  謝罪も出来ないような小物の首に何の価値も無いから。
  ただ、会社として更生の覚悟を世間に示すには、現経営陣の総退陣というのはアリかな。
  もちろん退職金ナシでね。

  咥えて、(あ、このネタは既に一度やりましたね。)
  加えて必要なのは『贖罪』だ。
  過失であろうと故意であろうと、それによって失われた名誉は回復されねばならない。
  その責は加害者が負うものだ。
  この場合我が国が国際的非難、
  (国連のクワラスワミ報告書およびマクドゥーガル報告書、米下院121号決議等)
  に晒されている現状を作ったのだから、
  朝日新聞はこれらを撤回させる運動において主体的役割を果たさねばならない。
  (他にも日本弁護士連合会および戸塚悦郎など、『贖罪』に値するヤツはいるけど。)
  何度か言及したが、NGOを作って調査とロビー活動をするのがいいと思う。
  本来は国がするべきことかもしれないが、政治家を当てにするのは間違いだ。
  何人かの政治家は訳も判らず謝罪し、
  その他の政治家も問題を看過することによって悪化させた当事者なのだから。
  それに、政治家はどこかで落し所を探るだろうから、徹底した活動が出来ない。
  朝日新聞に贖罪の気持ちがあるのなら、このNGOを作るのがいい。
  そして、所定の目的を果たすまでその活動資金を出し続けること。
  ただし、一切の口出しはしない―。
  という贖罪の仕方を提案する。

  贖罪をする・しない、あるいはその方法や程度は朝日新聞が判断することだけど、
  贖罪をしない、もしくは不十分と世間から判断されるなら信頼は回復されず、
  朝日新聞の更生も覚束なくなるだろう。
  厳しいことを言うようだが、それだけ罪が重い、ということだ。
  自覚してほしい。
  蛇足だが、朝日新聞が自発的に贖罪をしようとしない場合には、
  政治家は『懲罰的課税法案』を真剣に議論すべきだ。


朝日新聞がどういう選択をするのか、暫くの間注視したい。
さて、日はまた昇るのか?
                                           〈了〉


冒頭に紹介した本、朝日新聞出版社の本です。
朝日新聞本体はアレだけど、朝日新聞出版社の方はこういう良い本を出しているのです。
謝罪も無く、贖罪もまた無い朝日新聞は『道徳心』が足りないと思いました。
『この本を読んで反省しなさい!』という意味であえて選んでみました。
・・・まさか、この本も捏造・・・?
じゃない・・・よね?

〈お詫び〉
今回のブログ、長くなりすぎました。
ごめんなさい。
5000文字超えてます。
6000に近いかも。
途中で『ヤバイな~』って思ったんですが、止められなくって・・・。
4000文字超えたときには、『ええぃ、もう行くとこまで行っちゃえ~』って、
自棄(やけ)というか、多少ハイになってました。
ここまで読んでくださった皆様には『感謝、感謝』です。
どうもありがとうございました。





今週の一曲
福山 雅治 『Peach!』


PEACH!!/Heart o

PEACH!!/Heart o

  • アーティスト: カラオケ
  • 出版社/メーカー: アリスタジャパン
  • 発売日: 1998/11/05
  • メディア: CD



昔から、流行物・メジャーな物はあまり聞かない方ですが、この曲は例外的によく聞いてました。
最初にこのジャケットを見たとき、直感しました。
『この人(福山さん)とは親友になれるかも・・・』と。



今月の嫁
lunamariaさんが紹介していた『すーぱーそに子 水着サンタver.』があまりに可愛かったので、
それに刺激されて僕も今月の嫁を紹介します。
黒咲芽亜(くろさき・めあ)ちゃんです。

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このいたずらっぽい表情が魅力的です。
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正面から。
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横向き。
DSC00004a.jpg
後ろから。
こうしてみると、リアルではちゃんと成長した体型が好きなんですが、
こういう少女の面影を残した、可憐な体型もいいもんですなぁ。
そこで一句。
「ムチムチも
   良いがピチピチ
      捨て難し」
DSC00008a.jpg
これは『パンツを直してるのであって、オ○ニーしているのではない』(本人談)そうです。
DSC00017a.jpg
ついでに先月の嫁、アスナちゃんと、
DSC00018a.jpg
先々月の嫁、そに子ちゃんマウスver.です。


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YUTAじい

おはようございます。
体調如何ですか・・・無理なさらないで下さい。
エンジンの据え付けが終わり、いよいよ内部の偽装に進む様です。
by YUTAじい (2014-09-30 08:19) 

Lunamaria

まさか白昼堂々と立ちオ○するわけないだろう、というツッコミもそっちのけで、別のモノをツッコミたくなりますねぇ。

Toラブるのキャラはどれも魅力的なので、フィギアを見境なく買っていたらキリがないですが、モモさんはたまに買ったりします。

ところで、私はどちらかというとムチムチ派というよりは、ピチピチ派でスレンダーな娘が好きなのですが、そに子だけは例外的に飛び付いてしまいます。
by Lunamaria (2014-09-30 22:30) 

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