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『憲法私見』


百億の昼と千億の夜 (秋田文庫)

百億の昼と千億の夜 (秋田文庫)

  • 作者: 光瀬 龍
  • 出版社/メーカー: 秋田書店
  • 発売日: 1997/04
  • メディア: 文庫



少し前だけど、今年も憲法記念日がやってきた。
今年の憲法記念日は穏やかな、厳かな気持ちで迎えることが出来なかった。
軍事ヲタクというか、戦争ヲタクというか、
どうしても戦争をしたくてしょうがないヤツが首相を務めているからね。
平和主義者としては心安らかではいられないよ。
20年(もっとかな?)くらい前にも憲法論議が盛んになったことがあって、
その時には軽く読める日本国憲法の本が何種類か出版されていて、僕も読んでみた。
詳細な内容は覚えていないけれど、『一国の憲法というより、人類の理想に近いのではないか?』
という読後の感想は鮮烈に残っている。


『お前は改憲派か?護憲派か?』と聞かれたら、『消極的護憲派』と答えるだろう。
何事においても『タブー』は少ないほうが良い。
憲法においてもそうだ。
『絶対に変えられないもの』に支配される世の中は、息苦しく生きにくい。
必要があれば『いつだって変えられる』と思っているほうが楽だし、自由だ。
その上でなおかつ僕は平和を選ぶ。
平和を積極的に掲げる現行憲法を支持する。

これは自分なりに太平洋戦争を考えた上での結論なのだ。
いつだって戦争は『外交の敗北』である。
W・チャーチルが『至上最も避けるのが容易であった戦争』と評した太平洋戦争が勃発した一因として、
日本外交の稚拙さ・外交の不在があったと考える。
当時の政府には『なんとしてでも戦争を回避する』という姿勢は見られず、
安易に、なし崩し的に開戦に向かっていったように思える。
その反省はぜひとも生かしてほしいものだ。

現行憲法を厳密に適用するなら、日本は積極的に戦争を避けなければならない。
それは主に政治家や外交官の仕事だ。
政治家や外交官はあらゆる知恵を使って、あらゆる機会を捉えて戦争を回避する努力をせねばならない。
『専守防衛』は自衛隊が唱えるべきものではなく、
その前の段階、政治家や外交官が心しておかねばならない言葉なのだ。
こと敗れた時には、つまり開戦に至った時には、腹掻っ捌いて先人達にお詫びをするくらい、
真剣に、誠意を持ってことにあたってほしいものだ。
(瀋陽の事件などを見ると心許ないけどね。あの事件はガッカリ度が半端なかったな。)

一朝事起これば、自衛隊は全力で職務を果たす。
専守防衛ではなく、もう二度と我が国を攻めようという気が起きないほど、徹底的に敵国を叩く。
それも将来的な戦争回避には必要なことだ。
それが許されるのは、開戦を避けようとした不断の努力があってこそ、だ。
政治家や外交官達にその努力を忘れてほしくないから、現行憲法を支持するのだ。


ところで、僕は建築の設計を主な生業としてきた。
『モノを作る』仕事に携わってきて思うことは、
『最終的には、創作物にはその人の人間性が現れる』ということだ。
例えばサグラダ・ファミリアには崇高な魂を感じるけど、下品な奴は下品な物しか作れない。
(そういえば、昔、『おっぱいハウス』ってあったなぁ。)
それは単に建築だけでなく、すべてのものづくりにいえることなのだと思う。
絵画や文学、音楽などを通して繊細な魂に触れることが出来る。
法律や社会の仕組みについても同様だ。
作る人たちの心が表れる。
以前評判の悪かった『後期高齢者~』は、人をモノとしか考えていないことを示したネーミングだね。
そういう視線で憲法を見るとき、先にも書いたが『人類の理想』的なものを感じる。
崇高な魂を感じる。
今の政治家たちの言うこと・やることを見ていると、
彼らに現行憲法以上のものが作れるとは、とても思えない。
彼らが現行憲法以上の崇高さを持っているとは、とても思えない。
だから改正に反対だし、彼らには一言一句変えてほしくない。
てゆーか、『汚い手でさわんじゃねー!』と言いたい。

『日本人が作ったものじゃないから』との批判に対しては、
人類の理想を世界に先駆けて日本人に託してくれたのだと考えれば、
なんとも誇らしいことではないか。

『集団的自衛権』に関しても反対する。
戦争へのハードルを大幅に下げるものだからだ。
加えて、イラク戦争やアフガン戦争など、その正当性が疑われる戦争に加担してしまう恐れもある。
僕の勘だけど、あの戦争マニアは『朝鮮半島有事』を狙っている気がする。
集団的自衛権を確立させ、その後に韓国と同盟を結ぶ・・・すると朝鮮半島で戦争が出来る!
そのためには韓国との関係を改善しなければならない。
性格の悪いブスのおばさんに振られ続けているのに、あくまで阿り続ける姿を見ていると、
ちょっとそんなことも考えてしまう。
そんなにしてまで戦争がしたいのかね。
それは同時に、日本と日本国民を危険にさらすことでもあるのに。


憲法は国の形を決めることにのみ意義がある。
従って『理想』の部分もその中には含まれている。
我々が国を持ち、営みを続ける上での指針、方向付けとしての理想は不可欠であろう。
いわば理想はこの国が未来永劫『望ましい形であり続ける』ことを保障するものなのだ。
そしてこの理想こそが憲法を崇高なものにする。

理想は時流や突発的出来事を顧慮する事なく存在する。
存在し続ける。
理想は時に現実と相容れず、その相克はしばしば我々を戸惑わせる。
だからといって時流を理由に(その一部あるいは全部を)憲法を否定することは、
理想、ひいては憲法そのものに対する冒涜である。

そんなときは存分に悩めばいいのだ。
戸惑えばよい。
その苦しみの中から答えを見出せばよい。
悩み、苦しみ続けること、それも一つの回答なのだ。
所詮僕達は人間だ。
僕たちが掲げた理想は、僕らには荷が重いのかもしれない。
それでも理想を掲げ続けること、それこそが僕らの魂を崇高に近づけるのだ。





今週の一曲
角松 敏生 『君がやりたかった SCUBA DIVING』



あるがままに

あるがままに

  • アーティスト: 角松敏生
  • 出版社/メーカー: BMGビクター
  • 発売日: 1992/07/01
  • メディア: CD




今週のちょっといい一言
『自分を知るには 一生かかる』(ギリシャの古いことわざ)
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suzuran

田母神の唱える、戦争の出来る国にするために憲法改正が必要だ
という言葉は、安部の主張そのものだと思っています。

石原、石破、安部など、外交で物事を解決できないプアな頭で物事を
考える単細胞ほど拳法を変えることに積極的な様子を見ていると、
prometheさんの意見は的を得ていると思います。
by suzuran (2014-06-09 08:20) 

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